社会の裏側を「考える力」は、どう育てるのか
私たちは、子どもたちに産業教育が必要だと言うとき、つい「将来の仕事のため」「キャリア選択のため」と説明してしまいがちです。
けれど本当に、それだけでしょうか。
もし産業教育が単なる職業紹介であれば、インターネット検索で十分なはずです。
動画も、解説記事も、企業サイトも、すでに世の中には溢れています。
それでもなお、産業教育が必要だと言われ続けているのは、別の理由があるからだと私たちは考えています。
子どもたちは「産業の上」で生活している
電気をつける。
水を流す。
食べ物を買う。
荷物が届く。
子どもたちは毎日、産業の成果の上で生活しています。
それなのに、その裏側で何が起きているのかを、ほとんど知りません。
- どこで作られているのか
- どんな判断が積み重なっているのか
- 一つ止まると、何が起きるのか
社会は高度に便利になった一方で、産業は生活から切り離され、見えない存在になりました。
見えないものは、考えられない
人は、見えないものについて深く考えることができません。これは能力の問題ではなく、人間の認知の性質です。
工程が見えなければ、工夫は想像できません。判断の背景が見えなければ、責任の重さも感じられません。
結果だけが与えられる社会では、「なぜそうなっているのか」を考える機会が失われていきます。
産業が見えなくなるとは、社会を考える入口が失われることでもあるのです。
産業の本質は「判断の連続」にある
実際の産業現場では、教科書通りの正解が用意されていることはほとんどありません。
- コストを取るか、安全を取るか
- 効率を優先するか、環境負荷を下げるか
- 早さを取るか、品質を取るか
産業とは、複数の選択肢の中で、どれを選ぶかを決め続ける営みです。
ここには必ず、人の価値観と責任が入り込みます。だから産業は、技術の集合ではなく、社会そのものなのです。
AI時代に、産業教育が重要になる理由
AIや自動化が進むと、「いずれ人間の仕事はなくなる」という話がよく出てきます。
しかし実際に減っていくのは、決められた手順をなぞる作業です。
一方で残るのは、
- 何を目指すのかを決めること
- どの制約を優先するかを考えること
- 想定外にどう対応するかを判断すること
つまり、産業の中核にある「考える仕事」です。
だからこそ今、産業を疑似的に体験し、判断してみる教育が必要になっています。
産業教育は「未来の職業当て」ではない
産業教育の目的は、「将来どの仕事に就くかを決めること」ではありません。
むしろ重要なのは、
- 社会はどう成り立っているのか
- 技術はどんな意思決定の上で使われているのか
- 自分ならどう判断するか
を考える力を育てることです。
それは、どんな職業に就くとしても必要な力です。
社会を支える側になるために
いずれ子どもたちは、産業を「使う側」から「支える側」へと移っていきます。
そのとき必要なのは、技術の名前を知っていることでも、職業リストを覚えていることでもありません。
あらゆる技術の基盤にはSTEMがあり、それらの技術を使いこなす社会は、無数の判断の積み重ねによって成り立っているという感覚を持つことが重要です。
産業教育とは、未来の仕事を教えることではなく、未来の社会に参加する準備をすることなのだと、私たちは考えています。
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